Vol2.山内健嗣編
チームの最後尾から力強いランニングでチームを引っ張る山内健嗣選手。一度スピードに乗せたら,なかなか止められない力強いランプレーは、まさに大型バイク, いや半人半馬のケンタウロスかのよう…
中山敬介選手からの指名で,山内健嗣先生です.
「いつお家に呼んで頂けるのでしょうか?」ということなのですが….
-声かけたんだけど3回くらい振られたぞ, あいかわらずよく忘れる奴やな(笑)
あらら…まぁ敬介さんぽいっということで(笑)
「ラグビーとの出会いは小学校2年生」
-小学校2年生の時かな,りんどうヤングラガーズが設立された時にライオンズクラブの子弟が騙されて片っ端からいれられたんよ。練習始めて1ヵ月くらいで草ヵ江ヤングラガーズといきなり試合させられて…相手はチームが出来て4〜5年で学年別にチームがあるような状態で, そこにいきなり出されてさ。
あー,ラグビーってこんなスポーツなんだと(笑)
ポジションはどういう変遷をたどったのでしょうか?
-最初はウィングやね14番, 体が小さかったけど足だけは速かったから,要は兄貴(※)を活かすための布陣だったんよ.兄貴は上手かったよ〜. 始めたばかりで福岡選抜にも選ばれてたけんね。
まーそれからハーフしてセンター,スタンド(SO)かな.
※ 山内祥弘先生 (九州ドクターズ総務, 前主務)
確かに今でもキックの精度とかパスセンス,ランニングコースは抜群です。
詳細はいつかとりあげた時に!
「久留米大附設高校」
たしかに力強いランニングが印象的ですが,僕の中じゃ加えてパントが上手いって認識なんですが…
-高校でSOを段々まかされるようになったから練習しまくったからね
もしや高校とは…
-そう附設(笑)
俺が4期生やったかな, 一つ下の学年に東や三田がいて…2つ上に二又さんがいて…
激しく濃いメンバーですね…
-想像にまかせる(笑)
それから久留米大学に進学された訳ですね…
-そうそう,そこで二又さんと再会したし、秀(村上秀孝)とかと一緒になったんよ!
大○ラーメンが比にならない濃さです(笑)ところで九州ドクターズに入ったきっかけっていうのは…
-大学4年の時に人が足らんって某先輩に言われて無理矢理つれてかれた(笑)
う〜ん,いろんなところで,よく耳にするフレーズですね…
-実際いったら13人しかいないとかやもん,あの頃は少なかったな…
荒木先生がJr.で出てたりしてたもんね.
影響をうけたプレイヤーっていますか?
-う〜ん,身近なところじゃ兄貴かなぁ…
松尾雄治!!かなわんなって思ったね,ステップのペースやパントの落としどころ, 「そこに落とすか!」って感じで天才的だったなぁ
あと影響うけたのとは違うかもしれないけど吉田義人!こいつはどうやっても止められないって思った.東京までこの2人を見に行ったりしたなぁ…
「関西ドクターズ」
印象に残っている試合はありますか?
-3〜4年目の九州電力グラウンドであった関西戦かなぁ,自分が初めて関西に勝った試合. 兄貴がSOで俺がFB, 全てのサインでライン参加することになっていて,本当にしんどかったよ. でも皆必死だったよ,それまでずっと負け続けたからさ, 全員で必死にタックル行ってさ,結果終わってみれば圧勝で, 最高だったなぁ…
中山選手に続き,山内選手も関西ドクターズ戦をあげましたね…
やっぱり皆さんだいぶ重要視していらっしゃいますよね…
九州ドクターズの魅力とは?
-「世の中にこんなに馬鹿がいるんだって安心出来るとこ」これだろ(笑)
仕事も家庭もあろうにさ,まぁメンバーに会うと俺だけじゃないって安心できるよ。
仕事も忙しかったけど,なんとか顔だしつづけたけんね…とういか秀がやめさせてくれんのよ, ほぼ意地だな(笑)
紺パンになるまで続けてしまった…あ, 紺パン買いました(笑)
…確かに僕も職場じゃラグビー好き過ぎて浮いているのですが,ここにくれば平均値もしくはそれ以下になっちゃいますもんね…
次の方を指名していただけますか?
-う〜ん, じゃああいつかな! 三田と一緒にずっと九州ドクターズのスクラム支えてきたようなもんだからな.
いやぁ,あいつ尊敬するよ…どこまでラグビー好きなんだよと…
ということで高校の後輩でもある東晃一!!
“同じ匂いはしませんが,その姿勢は尊敬しています!”
有り難うございます!
確かに今の九州ドクターズを語る上ではなくてはならない存在ですよね!
最後に一言
「一本いいタックル決めたいです!」
有り難うございました!
電話でのインタビューですがあたかも居酒屋で話しているかのような錯覚に陥るほど濃厚なトークでした(笑)
次回は山内“ケンタウロス”健嗣選手のインタビューの指名で“ヘラクレス”東晃一選手です!
◆山内健嗣
1964年生まれ.ポジションはSO/CTB/FB. 久留米大学出身
元・藤田保健衛生大学救急医学講座講師, 元・島根大学救急救命講座准教授
現・東京電力福島原発救急室.
あれは2年前の全国ドクターズ大会の日の朝のことでした.
ジャージ姿にサングラス,耳に赤鉛筆をはさみ,競馬新聞とにらめっこしている姿…知らなければ誰も救急救命医とは信じなかったことでしょう…